2007.9.8|SBF親睦旅行

2007.9.8|SBF親睦旅行

開催概要

日時 9月8日(土)・9日(日)
テーマ SBF親睦旅行
講師 上海和平旅行社 島根 崇 氏(昨年まで幹事をしていただいた島根慶一氏の御曹司)
場所 揚州
天気 快晴(SBF旅行始まって以来初の快挙、奇跡?)
概略日程 9月8日(土曜日)
朝 08:00 ガーデンホテルに集合 / 出発 貸切バスにて上海から揚州へ。
到着12:00前後 昼食後、痩西湖公園散策。
その後四望亭、文昌閣を見る。 夕食・交流会。
宿泊:揚州京華大酒店(4つ星)

9月9日(日曜日)
午前中、揚州博物館、个園を見学。
昼食後、鑑真ゆかりの大明寺を訪問。
14:30、揚州を出発、上海到着18:00を予定。
出席 19名(内女性が8名と参加数および女性数共に過去最多!若い女性が多いことから参加者平均年齢は推定過去最低!)

恒例のSBF親睦旅行は、正式にSBFと呼称される前から挙行され、今年で5回目を迎えました。

その記念として、日中交流に大きな足跡を残した鑑真和尚ゆかりの地「揚州市」へ9月8日と9日に旅しました。

揚州市 (人口:80万人 経済圏人口:450万人)

中国としては、中小都市に類する。
現在の発展からはやや立ち遅れていたが、3年前に鉄道がひかれ、ほぼ同時期に上海からの高速道路も開通し、近年軽工業を中心として急激に発展している。
したがって、メインストリートは全て新しいビルであり、随所で都市再開発を行なっており古く小さな商店街が無残に取り壊されていた。ただし、新しいビルの全てが揚州スタイルである。蘇州や杭州でも見られるような白壁に灰色の瓦屋根であるが、揚州独特の外観を持った建物で統一感と歴史を感じさせてくれる。

南京や杭州などと違って、古代でも首都となったことはないが、いにしえには、揚子江と京杭運河を繋ぐ交通の要衝として商業都市として栄え、内と外に掘りをめぐらした城壁を構えていた。
古くは唐、宋の時代から栄えていたが、特に、清代には食材と塩の流通拠点として栄え、塩豪商のお屋敷と庭園が有名である。

往路

出発は珍しく、ほぼ定刻の8時3分。

揚州までの約4時間は、島根幹事ご提案の全員1人10分間のスピーチで過ごした。「10分間も話せないよ」とのクレームあったものの、もっと長い人もいた。テーマは自由であるため、生い立ちやら中国とのかかわりや色々なエピソード、そして怪談話まであり大いに盛り上がった。さすがSBF会員!上品で高尚な話ばかりである。途中での大きな見所は揚子江大橋。(添乗員からはその案内が無かったが)
上海に住みながら、揚子江を見たことが無い者もおり、それを橋で渡ることに大きな関心をもって見たものである。
対岸が直ぐに見えて思ったより狭い河だと思ったら、それは中洲の島。島を過ぎて再び大河が現れ、やはり揚子江はでかい。大小の船が行きかっていた。レストラン着12時半

食事

揚州といえば、揚州炒飯。

朝食含めて、どこのレストランでも主食はこれである。上海で食べるそれとは全く違い、10種類もの食材が入り手の込んだ美味しいものである。揚州炒飯といっても店により全て異なり美味い。「名物に美味いものなし」はSBF旅行でも体験したが、そのほかの料理も全て美味い。さすが食材集散地、豪商の町。

ただし、酒はまずかった。地酒を注文すればよかったのかもしれないが紹興酒を頼んだのが間違い。在庫は2種類しかなく、どちらもイマイチ(イマ二か)であった。おかげで経費は節減できた。何しろ、うまい酒だったら際限の無いのがSBF。

初日観光

「痩西湖公園」旧外堀を公園にしたものであり、名前のごとく細長い湖を中心とした公園。入場して数メートル歩いたら遊覧船があり、予定外であるが全員一致してこれで遊覧。水も景色もきれいであり、湖岸の柳越しの風が涼しく心地よい。

古い塔を見学しながら街を歩いて移動した。歩いて分かるその街のモラール。まだ2輪車が多いがその交通マナーは上海に比べてひどく差がある。歩道にもゴミや吸殻が散乱している。これが発展途上の街の姿かと再認識。

夕食レストランは、揚州炒飯発祥の店。ガイドの話では若い人はあまり行かないとのこと。不吉な予感がしたが、前述のごとく料理は最高。何故不人気か?サービスを知らない。小姐が汚い制服で、ののしるような声で注文をとっていた。小姐をよく見ると中森明菜の若かりし日に似た美人。おじ様族が可愛いよと褒めたら突然愛想がよくなった。最初からそうしろ!

夕食後は、有志一同が人力車で2次会へ。いや、人力車と思ったのが電動自転車であった。何と呼ぶのかな?電動力車かな?

とにかく軽快。夜の街中を信号無視、進路方向無視ですーいすいと走り回ってくれた。

いやー気持ちよかった。

2日目観光

「大明寺」奈良の唐招提寺で有名な鑑真和尚出身のお寺。唐時代に日本の留学僧の懇願にほだされ国禁を犯して11年の歳月と6度目の渡航で日本へ渡ることに成功し、日本へ本格的な仏教の布教をして奈良に眠っている。

田中角栄と周恩来が寺を守ったというお寺でも有名。

田中氏は国交修復をなしたことで当然ご承知。その後文化大革命のさなか、周総理が揚州市長に手紙を出して「紅衛兵から絶対にこの寺を守れ」と依頼・命令を出した。日中友好のシンボルとしての価値を見出した周総理の、寺社破壊活動をしている紅衛兵から守るべく必死の手紙を見た市長は、軍隊と警察で寺をぐるりと囲み守ったのである。

1982年、国宝鑑真像がお里帰りした時には、1週間で20万人もの人が押し寄せたそうだ。その時に記念に作られた灯篭の火は、消えることなく今も世を照らしている。ちなみにこの灯油代は、年間100万円もかかるが唐招提寺が寄進している。

「个園」40数種の竹を配した塩商人が作った名園。中国4名園の一つ。

それでも、その豪商はもっと広くしたかったようで、狭くて竹の半分しか配せないと謙遜(?)し、竹という字の半分を使って个園と名づけた。しかし、とんでもなく広くて金のかかったお庭である。日本の金持ちとのスケールの違いを感じる。

「関口知宏追掛隊」今回のハイライト!?!?
「関口知宏の、中国鉄道大紀行」というテレビ番組をご存知だろうか?
その後半がここ揚州で9日に撮影スタートする。こう云うことには鋭い高山会員が、同じホテルにロケ隊が宿泊していることをキャッチ、ロケ地およびスケジュールもスタッフから聞き出したので、揚州博物館見学を急遽変更し、全員が関口さん追掛隊と変わった。全員がTVに映ると思い込み、床屋に行かねば、浴衣を着ろ、お化粧直しだ、SBFの旗を用意しよう、留守宅へ電話だ・・・と大騒ぎ。残念ながらロケ地には遭遇できず、ショボン。
あちらこちら走らされた運転手は怒りだす始末、まあ大変でしたがよき思い出でした。 中国の方は「何でそんなに騒ぐの?」との顔、申し訳ありませんでした。

復路

くたびれて殆んどお休みのなか、18時半に無事に上海へ戻り、お土産と話題をたっぷり持ち帰って家路に散りました。 幹事さんご苦労様でした。来年もお願いします。

なお、来年は、杭州湾を新設大橋で渡って行く、寧波旅行の予定です。工事遅延がないことを祈っています。

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