2011.9.10-11|SBF親睦旅行「お部屋のお風呂で無錫旅情」

2011.9.10-11|SBF親睦旅行「お部屋のお風呂で無錫旅情」

開催概要

テーマ SBF親睦旅行 「お部屋のお風呂で無錫旅情」
日時 9月10日(土)~11日(日)
幹事 今年も実行委員が分担しました
観光・食事手配と会計:叶 家胤
集合点呼・遊撃:東 誠
記録:佐藤 忠幸
写真撮影:内山 博文・杉川 英哲
出席 18名(内お子様1名、現地参加1名)

まとめ

今年も昨年同様、移動時間を短くし、現地でのんびりしようという企画です。
旅行会社にお願いしないで、実行委員が全てを分担して実施しました。昨年に続いての試みでしたが、皆さんのご協力のおかげで楽しい旅ができました。
天気予報からいっても、今年も雨かと予想され、上海を出るときは、やはり雨でした。幸いなことに無錫では一滴もふらず、傘は日傘として使いました。
今年は太湖のほとりの豪華ホテルで、お部屋のお風呂に浸かりながら、湖の絶景を肴に一杯やりながら、のんびりと過ごされたらいかがかという趣向ですので、充分目的達成かなと自負しております。それにしても、比較的身近な江蘇省に、それも工業団地で有名な無錫に、こんな隠れた観光地、名勝があるとは、昨年に続く新発見でした。
しかし、3連休の中日ということもあって、どこも人出が一杯でした。
暑くて疲れましたが、面白い旅でした。来年は何処へ行こうかな?

旅程実績

9月10日(土)

上海花園ホテル出発 8時10分  皆さん早く集合していただいたので5分早く出発。

9月12日(月)は、中秋節です。
旧暦8月15日で中秋の名月を家族で愛でる日として、中国では重要な日のため10日から全国的に3連休です。そして日本のようなお月見団子ではなく、月餅を食べる習慣があります。
マレーシアやシンガポールのチャイニーズは、月餅をムーンケーキといい、中秋節をムーンケーキ・フェステバルと呼んでいたなー。
脱線しましたが、3連休であることから、上海を出口から大渋滞。これでは何時に着くのかと心配しましたが、ビールで乾杯し昼寝をしているうちに無事ほぼ予定どおりに到着しました。もっとも、何時に着いても構わないラフな予定です。以降の旅程はほぼ下記でした。

12時ごろ 無錫レストラン到着
12時~13時半 昼食
13時半~16時ごろ
太湖第一の名勝「黿頭渚」遊覧
16時半 無錫ホテル着 ダブルツリー リゾート バイ ヒルトン 無錫 – 霊山 湖景房
(無錫霊山元一希尓頓逸林酒店)
18時~20時 夕食 現地合流した、村上会員のおごり(ワイン含めて)!ありがとうございます。

9月11日(日)

10時~15時半  霊山大仏周辺遊覧および昼食
18時ごろ 上海 花園ホテル着

日曜日でありながら、上海市内に入ってからは、相変わらずの渋滞。
何とか18時ごろに無事帰着し、数々の思い出とお土産を抱えて家路へ。

無錫概要

無錫といえば、中年以上なら「無錫旅情」の唄を思い出すだろう。
上海近辺にいる人なら大工業団地を思い起こすだろう。
確かに、観光と工業という全く異なる二つの顔を持った大都市。

無錫市は、北緯32度に位置し、日本でいうと九州の宮崎市あたりに相当する。
市の総面積は、和歌山県とほぼ同じ4,788平方キロ。
総人口は約500万人で、7つの市区と2つの県級市を持つ。
日本の県と市の関係とは逆で、中国の市は大きく市の中に県がある。

無錫の名の由来には、諸説ある。

最も一般的な説は、漢代にキコリが山で巨石に穿たれた銘文を見つけたとき、「錫有れば兵事起こり、天下争う。錫無くば寧(やすら)かに、天下清(しず)まる」と刻まれていたため、これに因んで、この地を無錫と呼ぶようになったとするもの。
もうひとつの説は、周、秦の時代に、この地で錫が採れたため有錫と呼ばれたが、秦の武将が楚と戦って無錫を攻めたとき錫がすっかり無くなっていたことから、無錫と呼ばれるようになったとするもの。

無錫は小さな河川が無数に流れ、太湖の北西部に接する典型的な江南の水郷である。
太湖に産する魚などの水産物が豊富で、古来「魚米の郷」と呼ばれていた。
太湖に接した無錫市街は、典型的な中国の古い城壁都市であり、中心を隋代以来の「京杭大運河」が貫き、今でも多くの船が行き来する。

清代後期には、無錫は周囲の農産物の集積を背景に、その米市場の相場の影響力を江蘇省の範囲を超えるまでになった。辛亥革命までの間に食品や繊維などの民族資本が形成され始める。
こうした経済の発展は文化の発展も伴った。
多くの文人らが無錫から生まれ、優れた庭園なども建設され今も残っている。
1912年、中華民国は無錫県を置き、大小の資本の本拠地となった無錫は「小上海」といわれるほどの商業の繁栄を見た。
1937年、日中戦争により、戦場となった市街は大きく破壊された。
1949年4月23日、国共内戦の末、中国人民解放軍が無錫を占領した。
1953年無錫は江蘇省の直轄市となった。
だが、大躍進政策、人民公社化と文化大革命は、無錫とその周辺に荒廃と経済の多大な破壊をもたらした。
これは、なにも無錫に限ったことではないが、日中戦争の荒廃から立ち直りかけた無錫にとっては大きな痛手である。無錫の寺院は全て壊され、今あるものは、1990年代以降に再建されたものである。

改革開放以来、無錫の経済は再起し、目覚しい発展を遂げることとなった。
1981年無錫は全国15ヶ所の経済中心都市のひとつとなり、1984年無錫は全国10ヶ所の重点観光都市のひとつとなった。
1985年までに無錫は開放都市となり、工業団地などが整備され、コマツ、ソニー、パナソニック、アルプスなど海外資本が大規模な投資を行った。

太湖

太湖の面積は2,250平方km、平均水深は2.0m、最大水深は48m。湖面の海抜は3.33m、周囲は400kmである。中国五大湖の一つで、鄱陽湖、洞庭湖に次ぎ中国で三番目に大きな淡水湖である。三番目といっても日本の琵琶湖の3.5倍もある。
湖には大小約48の島が浮かび、多くの半島が連なり、湖を囲む峰の数は72を数える。
小さな河川が流入し、太湖を源とする河川もいくつかある。蘇州河や黄浦江などである。

太湖から掘り出される「太湖石」とよばれる穴の多い複雑な形の奇石は、蘇州はじめ中国各地の庭園に置かれていることで有名。もっとも、その多くは人工的に作られた偽物ではあるが。
湖中心部はきれいだが、岸辺は緑の藻が大量に発生していたのは残念。

太湖の景観は、北部の無錫周辺が最も美しいといわれる。
最も有名な観光地は、無錫市街の西の太湖に突き出た半島にある「鼈頭渚公園」である。
我々は初日にここを訪ねた。

黿頭渚 公園

この公園は、岸壁と磯があることから、「太湖明珠(太湖の真珠)」の美称がある。
黿とは、龍に亀の甲羅がある架空の動物のこと。
岬には、大きな渡し船で行く。
船の屋上で湖の景観を楽しみながらの約20分の船旅。
対面には、中国人の若いアベックが座っていた。
彼氏は、見事に飼い馴らされている。末はどうなるのか!?どうでもよいが心配。

岬の突端にある灯台のふもとには、小さな岩場があり、観光客が入れ代わり立ち代わり、岸辺の小さな岩に飛び移って写真を撮っていた。
我々も撮ろうと思ったが順番待ちが多いのでやめた。
湖畔に堤を作り、幾つもの蓮池や亭をしつらえた巧妙な配置は、なかなかのもの。
最初の堤に植えられた桜は、1930年代に日本軍が植樹したものとか、ここらは良きにつけ悪しきにつけ日本軍が絡んでいる。

さらに進むと近年に作った観光施設があった。
ミニ龍門石窟、ミニ敦煌・・・、自然のままの方が、私にはよかった。

ダブルツリー リゾート バイ ヒルトン 無錫

今晩の宿は、久々に高級ホテル。
ヒルトン系列のリゾートホテルである。太湖に面し、霊山の麓にある。
部屋のテラスには、大きな浴槽があり、湖を眺めながらお風呂に入るという趣向である。
彼女との相風呂だったら情緒もさぞや・・・・・。施設もサービスも超一流。

食後は、館内の高級麻雀倶楽部で、楽しむ者。
館内で開催されていた世界美人コンテストのアジア大会を見る者。
お部屋でのんびりする者、の3組に分かれて、思い思いに過ごした。
世界の超美人写真を見て、麻雀をしたことを悔やんだ者もいたが後のまつり。

霊山(灵山)景勝と霊山大仏

2日目の霊山景勝は霊山大仏と九竜灌浴という2つの景観が有名。
霊山大仏は無錫馬山秦履峰の南側の小霊山地区に露天で建てられ、高さが88mの釈迦牟尼の銅像。
大仏は唐の玄奘法師に名付けられた小霊山にあるから、「霊山大仏」と名づけられた。
大仏の落成は中国仏教界の百年来の最大な盛事であると同時に、太湖明珠―無錫のシンボルにもなった。
いつできたか?10年も経っていないようだ。
大仏の足をなでてお祈りするのが習わし。大仏の中に入ればエレベーターで高いところまで行けるが人出が多いので割愛。

九竜灌浴は、噴水池に立つ10数mもありそうな銅製の塔。
1日数回の興行時間(失礼)となると、てっぺんの蓮の花が開き、そこから釈迦の幼少時代の姿が!!
さらにそれに合わせて噴水の雨あられ!!
お釈迦様は一方だけを向かず、ゆっくりぐるりと1回転サービス。
大掛かりな電気仕掛けで、信仰の対象としての有難味は薄いが、アトラクションとしてはなかなかのもの。博物館やシアターなど他の施設も同様で、最新鋭の設備である。新興宗教施設と新興観光施設のようでもあり面白い。

無錫料理

味は上海料理と大差ない。
名物は、「太湖三白」と言われる3種類の白い淡水魚料理。

一番は、「太湖銀魚」。
魚と言われてが、実は骨がない淡水の中で生きる軟体動物とか。
長さは五センチぐらいで色は真っ白。日本の「しらうお」とほぼ同じ。
料理方法は卵と一緒に炒めたり、スープにしたりと色々。味はさっぱりして、栄養もありそう。

二番は本当の魚で「太湖白魚」。30~50Cmの大魚。
今でも養殖しないで太湖でとるそうだ。したがって、値段も高い。
細い葱を載せて塩をして蒸すのが一般的で、「清蒸白魚」という料理は太湖の近くの料理屋で必ず注文される。鮮度や大きさで値段もピンキリだそうだ。

三番は「白蝦」と言われる小エビ。
塩と紹興酒で茹でたり、蒸したりと色々に料理されている。
味は淡泊であるが美味。

無錫では、3食(10日の昼と夕、11日の昼)宴会料理を食したが、3食とも太湖三白が出されたが、レストランそれぞれに特色があり、飽きない。
毎回20品以上も出て食べきれない。

何と言っても、10日の夕食が最高!
地元で長く働く村上会員のご手配で珍品の山でした。おまけにワインを大量に差し入れていただいた。お勘定となったら「おごり」だとのこと。
美味い食事にワインを・・・本当にありがとうございます。

お土産

無錫は泥人形が有名。
様々な形の愛らしい人形が多種多様にある。

皆さんお疲れ様でした。幹事さんご苦労様でした。
今年は、ガイドをお願いしたが、節約して中国語のみです。
通訳として、張霖会員が一役かってくれました。最初はとまどったものの、だんだん慣れてきてしっかり通訳してくれました。ご苦労さまでした。

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