蘇州の歴史について蘇州-上海ビジネスフォーラム活動報告

開催概要

日時 3月17日(土)15:00~18:00
テーマ 蘇州の歴史について
講師 荒木 正(蘇州歴史探訪会)
幹事 薛 国栄
場所 勉強会・交流会とも桃園渡暇村酒店(蘇州新区)
出席 勉強会:43名 交流会:33名
会費 120元(交流会費用込み)

勉強会の内容

一、 蘇州はかつて世界最大の都市でした。

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これは当日の参加者とって初めて聞くこと。1600~1850年代(清朝)、当時の状況から分析し、人口100万人を超える大都市として、中国(世界でも)最大で、もっとも繁栄した都市でした。(理由は清の統一過程で、ライバルの揚州が大虐殺で衰退したことがあげられました)

当時の人口密集地が万年橋の周辺で(下記写真、注:現在形が違いますが橋は存在しています)、城門(注:名前は胥門)を出入りする便利さから原因が伺えます。

当時蘇州の三大文化(園林、厨伝(料理)、歌舞(芝居))が国中で秀でていました。

二、 蘇州創世記(春秋時代~宋朝まで)

周の季礼による呉の建国、春秋争覇、伍子胥、始皇帝の天下巡遊、項羽の旗揚げ、三国志時代の呉(孫賢→孫策→孫権)、東晋時代、隋の煬帝の運河建設、蘇州ライバル揚州の登場(塩税と塩賊)、宋時代の地図では現在の城壁とほぼ同じ(人口杭州150万蘇州50万)、数多くの歴史事件を通じて、蘇州の歴史を紹介しました。

三、 歴史の表舞台へ(元、明時代)

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元時代の太倉海賊出身の朱清・張瑄、(戸数100軒足らずが一大市場)を紹介、呉王張士誠(泰州出身塩賊出身)が最後まで戦い、蘇州が明の太宗(朱元璋)がもっとも恐れ憎んだ町になったこと、伝説的富豪沈万三を代表とする富豪が蘇州に集中、明が蘇州に対して大変重い税を課したせいで、明末までは大きく衰退したことなどを紹介、そのほか、全7回の大航海は蘇州(太倉)から出発、倭寇の被害、「蘇湖(江浙)熟すれば天下足る」にかわって「湖広熟すれば天下足る」のような穀倉地帯の移動なども紹介しました。

四、 栄光からの転落(アヘン戦争・太平天国の乱・日清戦争)

揚州の復活、広州の繊維業の勃興、イギリスと中国の貿易(茶輸入で18世紀前後にはイギリス側の400倍に及ぶ大幅な貿易赤字でアヘン戦争勃発)、道光3年(1823)年の大洪水、太平天国の乱など、数々の蘇州転落の原因を紹介しました。

五、その他

蘇州の偉人達13名、蘇州関連の本8冊を紹介しました。

交流会

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3卓満杯で食事とお酒を楽しみながら、歴史の逸話などで引き続き弾みました。

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