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薛氏家譜の紹介蘇州-上海ビジネスフォーラム活動報告
開催概要
日時 | 9月22日(土)15:00~18:00 |
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テーマ | 薛氏家譜の紹介 |
講師・幹事 | 薛 国栄 |
場所 | 桃園渡暇村酒店(蘇州新区) |
出席 | 勉強会:21名 |
会費 | 30元) |
勉強会の内容
1.はじめに
まず、今回薛氏家譜の編集に当たった中心人物の紹介から入り、16年間かけて、歴史資料の調査、薛氏先祖の探訪、家系図の整理、膨大な時間、労力、金銭を使って、ようやく2010年完成させた経緯を紹介しました。
実物を見せながら、家譜のボリュームを紹介:
26冊(56巻+首巻+附巻)、3,638ページ、398万字、同一家系の思孝堂に属する8,802人のデータを収録。
「国家図書館」「上海市図書館」「中国家譜資料研究中心」「復旦大学図書館」「江蘇省図書館」などにも保管された。
2.家譜の起源
国家に史、地方に志、家族に譜のように、中国ではそれぞれの歴史記録があり、家譜はもっとも古いともいえる。商の甲骨文にすでに姓氏家系記録があり、一番古い文字家譜は戦国の「世本」(紛失)、現存の一番古い家譜:唐代の「元和姓簒」がある。唐までは家譜が帝王、貴族、士大夫だけの記録となり、民間編集が禁止された。唐中期から士大夫の間で始まり、宋から民間編集が開始、科挙制度が完備し、以前家系を重んじる推薦制度が取りやめたことが理由である。明、清から家譜がかなり普及する(村に祠堂あり、家庭に家譜あり)。
世界現存中国家譜は5万余(海外2万余)あり、国内では上海図書館がもっとも多く、11,700種(320姓氏)が保存される。(中国第一譜:「孔子世家譜」 約200万人収録)
3.一般家譜の構成
譜名、譜序、凡例、譜論、遺像、恩栄録、先世考、族規家法、礼堂、五服図、世系、伝記、族産、契据文約、坟茔、字輩譜、続後譜、領譜字号
実例として、薛氏家譜の目録を紹介した。
4.「百家姓」の由来
宋の時代に始めて編集され(最初411、清に504個まで増加(単姓:444個、複姓:60個)、以前は子供の啓蒙書として使用された。一番最初に出た「趙銭孫李」の理由を紹介した。
2010年11月1日の第6回人口調査による人口順最初100姓の順番を紹介、全国人口の85%を占めるという。薛は48位であり、約504万人、0.42%を占めるという。
「中国姓氏大辞典」は23,813個の姓を収録、2007年の調査で現在約4100個の姓が使用され、最後の4つは山、死、难、贶という。
5.「姓」「氏」「名」「字」「号」について紹介
姓は“女”+“生”で構成され、トーテムから発生し、血縁(母系)と部落を区別する。
“女”偏がついている姓(姬姒嬴姜)はもっとも古い姓であり、周の時代は同姓者が結婚禁止された。
氏は倒れる物を支える意味、「支」の元でした。姓から分化し、男の功績、勢力を表明する。貴族だけがもって、貴賤を区別する。
夏、商、周は姓と氏の使用がはっきり区別され、男子は氏、女子は姓をつかった。
秦から郡県制となり、氏族制度が破壊され、姓と氏が合一(姓氏)、現在の姓の99%が氏から来た(国、領地、官職、職業、居所、周王の血縁、貴族の字などから取る)
名は“夕”+“口”で構成され、暗くなったとき、口で声を出して身分を明かし、個人を区別する。古代は平民には姓が使用されなく、戦国から使用された。
字は成人の時、付けられ、「名」の解釈と補充になる。
号は自分で付けるもので、個人の志向、趣味を表明する。
実例:孫文:名:(幼):帝象、(譜):徳明、(生):文
字:載之
号:日新、逸仙、中山(中山は日本語名前「中山 樵」から来たことを紹介)
6.中華姓氏源流樹
姓氏のほとんどが「黄帝」「炎帝」からきたことから「炎黄子孫」の理由を説明した。
7.薛氏の由来:薛氏の主な6系統を紹介
①任姓薛氏:「薛国」子孫の系統(私の家系)
②嬀(田)姓薛氏:孟嘗君系統
戦国時代に「薛国」が斉に滅ぼされ、孟嘗君のお父さんに封賞され、孟嘗君が死んだ後、また滅国され、子孫分散、劉邦が天下を取ったあと、孟嘗君を尊敬したため、その子孫に薛城を再封賞されるが、兄弟2人が譲りあい、ともに受賞しなく、安徽省宿県に移り、故郷を記念するため薛に改姓した。
③改姓:叱干氏系統
北魏孝文帝(494年)、洛陽へ遷都後、胡漢融合を図るため、漢化改革を推進(禁胡服、断北語、改姓氏、定族姓)、119個の復姓を単姓に改定、叱干氏→薛氏(拓跋氏→元、独孤氏→劉)
④匈奴薛氏(山西省離石地区)
⑤鉄勒(族)薛延陀(内蒙古杭愛山脈)
⑥授姓:武則天が愛人の馮小宝を薛懐義に授与した(娘を薛氏に嫁したため)
8.「薛国」の紹介(遺跡、出土文物なども紹介)
都:薛城(山東省滕州市南17キロ) 周長:10,615m
君主: 任
存在期間:夏禹(前2069年、奚仲)~戦国(前298年)、64世、約1700年存続
斉(一説は楚)に滅亡され、田嬰(孟嘗君の父)に封賞された。孟嘗君(田文)が薛城を最盛期にした。孟嘗君が死去後、再度斉と魏に滅亡され、秦からは郡県になる
9.任姓薛氏の由来を紹介
- 一世=黄帝
- 三世=顓頊 帝を継ぐ
- 四世=陽 任の地を得る(山東省済寧市)(任姓となる)
- 十六世=奚仲 夏禹(車正) 薛の地を得る
- 二十八世=仲虺(hui) 商湯の左相 夏を倒す。
- 四十八世=任成 周に近い挚国の地に移る(河南省汝河東)
次女大任:周の三男季歴の妻、息子:姫昌(周文王)、文王息子(周武王)が商を倒す - 五十九世=任陵 薛国を周から封賞される
- 八十世=任洪 前298年、斉(楚)に滅国される
- 八十一世=任登 楚に登用されたが、辞任、故郷を記念するため、薛に改姓する
10.薛 国栄の家系図と先祖移動経路の紹介
一世の黄帝から、各地への転々、一三四世の北宋靖康の難のため常州に逃げてくる、一三七世の江陰への移住、一五四世の私実家の村への移住、一六三世の私まで、家系図に基づいて説明した。
11.最後に
今まで家譜が16回編集され、現存の旧譜が極僅かでかなりの貴重品になっている状況も説明した。
交流会
先日の反日騒動を考慮して今回の交流会(食事会)は取り消しに決定した。