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改革開放政策に関わる歴史的文化的考察蘇州-上海ビジネスフォーラム活動報告
開催概要
日時 | 2013年3月30日(土) |
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テーマ | 改革開放政策に関わる歴史的文化的考察 |
講師 | 太陽誘電(中国)投資有限公司 神谷副総経理 |
幹事 | 尾木原 純一 |
場所 | 桃園渡暇村酒店(蘇州新区) |
出席 | 勉強会:34名 交流会:27名(講師含む) |
会費 | 勉強会及び交流会共150元 |
勉強会の内容
文革が公的に終息した1976年に、学生として初めて中国の地(含む蘇州)を踏んで以来、足掛け40年近く中国と関わってきた神谷講師により、日頃の研鑽に基づき、大国中国を作り上げた「改革開放政策」について概容と歴史的必然性そしてその功罪を分かりやすく解説いただき、あっという間の2時間でした。
以下レジュメに沿って要約;
1.歴史
①市場経済への移行期(1978-1992年)
鄧小平「4つの近代化」を具体化(*)
1978年12月 | 農村部:人民公社の解体⇒経営自主権保証により生産意欲向上 都市部:経済特区⇒外資の積極導入 |
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1989年06月 | 天安門事件により2回目の経済破綻へ(改革開放の頓挫) |
② 社会主義市場経済(1992年~現在)
1992年 | 鄧小平の「南巡講話」で改革開放が加速化 |
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1997年9月 | 党大会で「鄧小平理論」を党規約へ⇒「開放」政策で党が一枚岩に |
*20世紀末までに工業・農業・国防・科学技術の4分野で近代化を達成する国家目標。
源流は、1964年の周恩来全人代報告(原型は1954年)。文革期に棚上げとなり、鄧小平が1978年に再始動させたもの。
2.概要
改革開放:市場経済と競争原理を導入し高い経済成長を実現
3つの段階
①第1段階(1978年-87年)農村での「生産請負制」の導入、経済特区での対外開放
②第2段階(1988年-91年)89年天安門事件で政策推進に試練、低迷期
③第3段階(1992年以後)「南巡講和」で再活性化、2001年WTO加入
3.歴史的必然性
50年代後半の中ソ関係悪化
↓ ソ連に触発された大躍進政策の失敗と経済破綻(1958年-59年)
(三面紅旗:総路線、大躍進、人民公社)
↓ 毛沢東の政権内権力の低下(数千万人の餓死者、毛沢東は自己批判し国家主席を辞任)
↓
権力再奪取を目論む毛沢東が起こした党内権力闘争が内戦へ(文化大革命)
↓
多くの犠牲者(数千万人)並びに経済基盤、教育の破壊、道徳の破壊で国家存亡の危機
↓
主義、理論は後回しで経済再建の必要性(理論は後付)
↓
鄧小平(理論)による改革開放政策へ
4.功罪
【功】
高い経済成長率、大国化(GDPや軍事力)
上海、深セン等華やかな現代化のショーウィンドウ
【罪】
◆経済格差
人口の15%の支配層が富を支配(化私為公⇒化公為私)、権力の市場化(何清漣)
◆環境悪化
生態環境の悪化(将来への致命的影響)砂漠化40%、粗放経済(投入量は4-6倍)
◆道徳の崩壊~礼崩楽壊
汚職の蔓延、契約履行率6割程度、黒社会化する地方政治
◆情報統制の強化
統制強化は鄧時代より厳しい~思想教育の強化、金盾(じゅん)工程:国家的ネット監視システム
三つの代表;経済エリートを体制化に取り込む⇒中産階級の体制化
5.文革後期と評価
70年代に入ると内戦状態にともなう経済停滞で国内の疲弊はピーク、それに合わせ騒乱は次第に沈静化
1971年 | 国連の中国の代表権移管 |
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1972年 | ニクソン訪中、日本と国交回復 |
1976年 | 毛沢東、周恩来死去、10月四人組逮捕 |
1977年7月 | 鄧小平復権 |
1977年8月 | 11回大会「四人組逮捕を以って文化大革命は勝利の内に終結」 |
1981年6月 | 11期6中全会「歴史決議」 「指導者が誤って発動し、反革命集団に利用され、党、国家、各民族に重大な災難をもたらした内乱」 |
2012年3月 | 温家宝記者会見「文化大革命のような歴史的悲劇がおこることを危惧」 |
6.人民公社
農村での行政、経済組織の合一体
1958年 | 合作社の合併により組織され、生産手段の公有制に基づく分配制度実施、政経合一による地域共同体と国家の末端権力機構との一体化 |
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1978年 | 生産請負制導入、1982年事実上の停止(公社は働いても働かなくても同じ収入) |
1949年中華人民共和国建国後に農地の私有制が成立したが、1956年私有制を否定し、集団的所有制の人民公社制度へ⇒公社の失敗で、土地所有権は集団所有であるが,農民にその土地の占有,使用,収益の権利を「土地請負経営権」(生産請負制)として認めた。
7.鄧小平理論
1979年 | 4つの基本原則の堅持:社会主義の道、プロレタリアート独裁、中国共産党の指導、マルクス・レーニン主義・毛沢東思想 |
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1992年 | 南巡講話 社会主義市場経済を提唱、1993年に憲法修正し国の基本方針となる |
「政治的には社会主義、経済的には市場経済」という建前を示すもの。
政治的には一党独裁を堅持しつつ、経済的には市場原理を導入する、という方針は現在に続く。
8.改革開放を巡る二つの経済理論
新自由主義(機会の平等、小さな政府)と新左派(結果の平等、公平性を重視)
学会の主流は新自由主義、新左派は貧富格差が拡大する中国社会で一般庶民に人気あり
不公平の要因として、新左派は私有財産と自由市場経済を結果の不平等の源泉とみなす、
一方、新自由主義者は共産党による政治体制が基本的な原因と考え、私的所有権の確立と市場経済に基づいた財産の分配を主張(学会内では公然と一党独裁への批判あり)
経済格差の指標、ジニ係数:国民の所得分配の格差の状況を総合的に考察する場合の重要な分析指標として国際的に用いられている。係数の範囲は0から1で、0に近いほど所得分配が平等である(格差が小さい)ことを示し、1に近いほど所得分配が不平等である(格差が大きい)ことを示す。国際的な基準に従えば、0.4以上は所得の格差が大きい警戒ライン、0.6以上は所得の格差が非常に大きい危険ラインとされる。 昨年12月には中国人民銀行らにより2010年のジニ係数は0.61とされた
最終ジニ係数が0.6とは、10人の標本で9人が100万の所得、最後の一人に1,600万の所得が集中していることを意味する。⇒成長の果実を享受しているのは国民のごく一部
9.エピソード1(ポスト・ルイス転換点)
2つの転換点を同時に迎える労働市場(歴史的に稀)
○生産年齢の減少(人口ボーナスから人口オーナスへ←一人っ子政策)と
○ルイス転換点の到来(発展過程における完全雇用の達成←農村から都市部への人口
移動で農業部門の過剰労働力が解消)この結果、「潜在成長率低下と賃金上昇が同時進行」
10.エピソード2(新指導部体制)
胡錦濤による「中央委員会活動報告」2012年11月
〈小康社会の実現にむけて)
1)2021年党創立100周年に小康社会の実現、2049年中国成立100年に現代的国家を実現
2)7%程度の成長を維持し2020年までに2010年の都市、農村の一人当たり所得を2倍にする
3)「科学的発展観」を「長期的に堅持しなければならない指導思想」と位置づけ、党規約に5つめの指導思想として織り込む
(人間本位を中核としながら、「全面的」な「調和」のとれた「持続可能」な発展を目指すこと)
「経済発展パターンの転換」が重要課題=「需要構造面では投資と輸出から消費へ」「産業構造面では工業からサービスへ」「生産様式面では投入量の拡大から生産性の上昇へ(粗放経済からの脱却)」←労働力不足、高齢化社会の到来、海外市場の低迷と貿易摩擦の激化、資源・環境問題の深刻化が背景
習近平就任演説 <国民生活の向上と腐敗撲滅> 「引き続き思想を解放し、改革開放を堅持し---共に豊かになる道を揺るがず歩むことである」
「一部の党員幹部の間に生じている汚職や腐敗、大衆との乖離、形式主義、官僚主義といった問題は大きな力を投じて解決しなければならない。」
新体制(ご参考)~上海閥の勢力低下と軍重視の兆候
団派:中国共産主義青年団出身
江派(又は上海派):前国家主席江沢民の影響を強く受ける利権集団
太子党:2代目
(政治局常任委員7名)
習近平、張徳江(前重慶市書記)、劉雲山(中央宣伝部長、団派出身)、王岐山(中央規律委員会書記)、愈正声(前上海市書記)、張高麗(副総理、前天津市書記)
李克強(総理、前遼寧省書記、団派)
(政治局員18名)
李源潮(副主席、前組織部長、団派) 韓正(上海市書記、上海派)
王濾寧(中央政策研究室主任、団派) 孟建柱(法政委書記、上海派)
劉延東(副総理、団派、女)
劉奇保(宣伝部長(未定)、団派)
許其亮(中央軍事委副主席、団派) 王洋(副総理、団派)
胡春華(広東省書記、団派) 栗戦書(中央弁公庁主任、団派)
趙楽際(党組織部長、団派)、郭金龍(北京市書記団派)、馬凱(団派)、張春竪(団派)
中立 氾長龍、李建国、孫春蘭(天津市書記、女)、孫政才(重慶市書記)
(他省委書記)
内蒙古自治区 王君任(まじめな)
浙江省 夏宝龍(団派=習の浙江省書記時代の部下)
陜西省 趙正永(団派=習のかっての部下) 、
吉林省 王儒林(団派)
貴州省 陳敏爾(前書記 栗戦書)