各SBF活動は、新型コロナウイルスの状況を鑑みつつ、次回開催の日程を決定させていただきます。

浸透力と精神状態

浸透力と精神状態

第5回 2007年1月

前回、「次回はブランドの音について」と予告しました。しかしちょっと考えることがあり「浸透力と精神状態」とテーマを変えさせていただきます。

前回は視聴のときに音楽が体に「すっ」と入ってくるもの。を択ぶといいですよ。とアドバイスさせていただきました。長年あこがれていたからとか雑誌に良いとかいてあったとか先入観はこの際捨てて無心で聴きましょう!

例えばスポーツドリンクは体の浸透圧と合わせてあるので体にストレスなく入ってきますよね。これに似ていることなのですがよく評論家の先生がすごく良い音のブランドのアンプを褒めるときに「このブランドのアンプは「浸透力がある」といいます。」

ほんとにこんなことあるのでしょうか? 私個人の感想ですが本当にあると思います。「浸透力のある」音は果たしてどんな音でしょうか?簡単に言えば 「音楽の方から我々の体に入ってこようする音」のことです。

「これは高い機械だからいい音のはずだ。」
なんて雑念が頭の中でぐるぐるとしながら聴かなくてよいわけです。ストレスなく音楽に没頭できます。こういう音で音楽をききたいものですね。

じゃこれ以上となるとどうでしょう?これは生のコンサートしかありません。それも最高の音楽ホールの最高の席で。そして最も困難なのが最高の演奏。こればかりはたまたまにしかめぐり合うことが出来ません。残念ながらオーディオのように自分でコントロールできません。

ここからはちょっと私的な話になりますが,趣味の話で私的でない話などない。と決め付けさせていただきます。話が厚かましかったらごめんなさい。

かくいう私も仕事をはなれて(これがなかなか難しい)更なる感動を求めてコンサートに足を運びます。最近ですが11/12の夜 捕東の東方芸術中心でのドレスデンシュターツカペレのオーケストラコンサートに行ってきました。指揮者は私が尊敬する韓国のチョンミュンフェンです。演目はウェーバーの魔弾の射手序曲とブラームス交響曲第四番 ベートーヴェンの運命です。この指揮者は私が東京営業時代にN響定期でよく聴いていました。定期会員というのは良くできていて一年分まとめ買いするので切符が1回当たり安いのはもちろんですが,あまり好きでない曲や初めて聴くような近代や現代の曲を強引に聴かされることもありこれがなかなか新鮮で面白いのです。

実はこの指揮者によってどんなオーデイオでもかなわない経験をしたことがあります。確かサントリーホールのN響定期だったと思います。一曲目はすさまじいソロ演奏を披露したマキシマムヴェンゲローフのヴァイオリンで誰か忘れたけど近代の作曲家の協奏曲。そしてその後のチャイコフスキーの交響曲四番で忘れられない体験をしたのです。それも普段聴きなれたN響で。

このチャイコフスキーの交響曲第四番の第一楽章のあるピアニッシモの部分(今まで気にも留めてなかった部分)が異常な位緊張感に満ち溢れていることに気づきました。そしてその瞬間 私は一瞬にして音楽の中に引き込まれました。

引き込まれたのは私だけではありませんでした。ふと目をやるとこの異常な緊張感に全ての聴衆が息を呑んで一音たりとも聞き漏らさないようにと。していることに。そしてホール全体の空気までもが音楽に吸い込まれていくような錯覚すら覚えていたと思います。

そのときがこの音楽を始めて理解できたと思えた瞬間でした。そして気がついたら曲が終わっていた。あっという間に時間が過ぎていました。それだけ音楽に引き込まれ音楽と一体化していたのでしよう。

白状するとこの曲に対して私はあまりいい印象はありませんでした。この曲は忘れもしません。中学生のときに読売日響の演奏で聞いたときのショックを。簡単に言えば第一テーマが突然 全休止するのです。それも繰り返し。

そのころ私は古典派の流れるような音楽に傾倒していました。今から思えば当時はませた中学生でした。

そのころ物知り顔でモーッアルトの作品目録K番号を暗記したりしていました。まあ音楽のことなど何も分かっていなかった。と今なら言えますが。

いずれにしろコンサートの間中 チャイコフスキーにも演奏家にも失礼ながら笑いをこらえるのに必死でした。

もちろんそれから15年以上もたっているわけですから事あるたびにラジオやCDで聴いたりしてそれなりにこれはやはり意味のある音楽だぞ。程度には理解しているつもりでした。このN響定期で 笑いをこらえるのに必死だったこの同じ音楽が私を圧倒的に感動させたのです。それも永遠に忘れられないくらいに。です。演奏中私は気を許すと何度も涙が浮かんでくる状態でした。

その指揮者が昨年に続いて上海にドイツ有数のオーケストラと来るのです。行かないわけには行きません。演奏は一曲目のウェーバーの序曲から素晴らしいものでした。このクラスのオケは金管 木管のテクニックと音色が素晴らしいのは言うまでもありませんが実に弦楽器が良かった。コーダーの導入部から最後までの部分で高い音のユニゾンでヴァイオリンが「泣く」のです。もちろんその後のブラームスもベートーヴェンも素晴らしかった。感想はさておき上海の聴衆のマナーも最近は良くなりました。今回も電光掲示板に「この曲は四楽章制です。楽章間は拍手しないでください。写真は取らないでください。食べ物は食べないでください。」と演奏中に流れ続けます。

この効果は絶大でした。聴衆はマナーを覚えることができます。

以前というか二年前に上海に来たばかりのころのマナーの悪さ(悪いというより知らない)は目に余るものがありましたが。

ただ最後に案の定決定的なことが起こりました。最後のアンコールを催促する手拍子(盛大な拍手ではない)です。アンコールというのは演奏家が一応用意はしておく場合が多いのです。初めての土地の場合は特に敬意を表して。そして聴衆と感動を共有できた素晴らしい演奏会になりえた場合にだけ演奏するものです。自然発生的に演奏すべきものなのです。決して強要するものではありません。定期演奏会クラスのハイレベルな聴衆になると人によってはせっかくの感動の後むしろ興ざめするのでアンコールはいらない。という人もいるくらいです。

今回も何かの団体の大会のような異様な雰囲気にさすがの指揮者もオケも聴いている外国人も驚きです。素晴らしい演奏に対する感動の表現の仕方は手拍子ではありません。これは絶対にやめるべきです。西洋音楽は文字通り外国の文化です。国内だから何をしてもいい。と言うわけには行きません。敬意を表すべきでしょう。その瞬間に頭に血が上った私は手拍子の途中で退席しました。そしてタクシー乗り場で 「プーシーは行かない」と二台とも乗車拒否。そしてしょうがなく乗った地下鉄ではこじきと新聞売り。この一連の体験に音楽の感動は全て消えてなくなっていました。

むしろ心の中は「行かなきゃよかった。もう上海ではコンサートには絶対に行かない」と。私にとってコンサートは仕事から離れ音楽に没頭できる神聖なものです。そして中学生のころのようには何を聞いても感動は出来なくなった(あのころは毎日運命を聞いても曲趣が心にしみこんできた)けれども,もしかしたら今回は素晴らしい演奏に当たるかもしれないという期待を持って切符を買うわけですから。

誤解しないでください。

決して私はここで中国のマナーの悪さやそれを批判しているのではないのです。こんなことは外国人なら誰でも知っていますし弁護するとすれば今は過渡期なのでしょう。日本だって明治維新後 西洋音楽が入ってきて 戦後はカラヤン ベルリンフィルが初来日して大騒ぎしたときの有名な話があります。

全ての演奏に対して盛大な拍手をしたため カラヤンが何も分からない聴衆にやる気がなくなった。これなどはほんとかどうか分かりませんが聴衆のレベルというのは演奏家が最も気にする部分であるようです。

すなわちいい演奏の時にはほめてもらいたいが失敗したときはほめてもらいたくないということです。いまでこそ 世界中の音楽家は日本の聴衆のレベルの高さとマナーの良さを褒めるようになりましたがこういうことは時間がかかるものなのです。

話が脱線しました。
それでは私は批判でなければ 何を言いたいか? 何に気づいたのか?

「音楽を聴くことは精神的活動である。そして非常に個人的体験であり心は非常にデリケートなものなのだ。音楽の感動もちょっとしたくだらないことに影響を受けてしまう。」ということです。

私は素晴らしい聴衆と共に適度な緊張感と音楽に対する敬意の中で全身全霊の奇跡の演奏に出会いたい。それに出会いたくて懲りずに博打を繰り返しているのです。

今回の体験で私が学んだのは、オーディオも個人的精神的体験のためだ。ということです。こんな簡単なことにいまさら気づいたのです。択ぶあなたが感動できる機器を択ぶこと。これが大事なのです。

矛盾しますが私の書いていることも気にする必要はないのです。そしてオーディオは自分一人で楽しめるのですから聴衆のマナーも帰り足も心配せずに音楽に没頭できます。皆さん自身の貴重な人生ですから。いい音楽を聴きましょう!!!

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