第10回 2009年7月
ベートーベンの交響曲第五番のCDを聞いた。ふと30年前を思い出した。
カラヤン指揮フィルハーモーニ交響楽団の五十年代のEMI盤である。
中学一年の初夏の頃と思う。
ほぼ毎日といっていいほど聴いていた思い出深いステレオ初期の録音である。
当時はもちろんLPレコードで。
我が家には、LPレコードは数枚あったと思う。
ラインスドルフのモーッアルト交響曲36番と39番、ヘブラーのピアノでモーッアルトのピアノ協奏曲19番と27番、リヒテルでベートーベンの三大ソナタ。それとこのカラヤンの運命と新世界。
なぜかアポロ11号の月着陸の交信記録が録音されたドーナッツ盤もあった。
いずれにしろ、カワイのアップライトピアノと共にステレオ装置とこれらのレコードが我が家にはあったのだ。
おおよそ検討がつくが、子供の情操教育のために両親が購ったのだろう。
要するにそのころ私は多少裕福な家庭で育てられていたのだ。
ステレオ装置は、ソニーのコンポーネントだった。
途中でこのコンポーネントシステムのスピーカーがデンオン(DENON)のブックシェルフに変わったのだがこちらのほうがはるかに音がいい。
このスピーカーシステムにはピアレス社のユニットが付いていた。
部活の激しい練習から帰ると真っ先にステレオのある応接間にこもり、カラヤンの運命をこのスピーカーシステムで聴く。
当時は不思議に何度聴いても曲が体に染み入るように入ってくる感じがした。
この有名な運命の動機は、よく言われるように「旋律」ではなく四つの音符から成る「動機」でありこれが複雑に組み合わさり音楽として構成されている。
実は私にもそのよう(旋律ではなく動機のかたまり)に聴いて理解できていた。
素人なので詳しくは分からないのだが、音楽史上ここを境に音楽が変革したのではないかと密かにおもっていた。
「ロココ趣味の優雅な時代にベートーベンはどうやってこういう曲を思いついたのか?すごい作曲家だ。」と普通の人が思うことを普通に感じていたことになる。
言いたいのは、この再生システムは、この複雑な動機のかたまりのような構成の音楽を私の目に見えるように鮮やかに再生していた。ということである。
要するに、「運命」という音楽を私に分かるように再生してくれていたわけだ。
先日この録音をCDと最新のハードで聴いてみて思ったのは、
「音が悪い。ただ音が鳴っているだけ。演奏のスピードが当時と比べて遅い。」
平たく言えば、中学生のころと違いさっぱり感動しないのである。
とても第四楽章まで聴く気がせず、途中でやめた。
このCD(全集)を購入した動機も中学生の時のことを思い出したくて(また感動したい)のことなのだが、不思議と当時の印象と違うのである。
「あのときのあそこの寿司はうまかった。久しぶりに食べたらまずかった。」
とは訳が違うと思う。
何しろ再生装置も当時に比べれば格段の進歩である。
盲腸の手術後にAudioに思いっきり取り組もうということで、セットUPしたB&W803Dを中心としたシステムである。
部屋も専用の書斎である。当時は応接間。
媒体がレコードからCDに変わったからか?
それとも、思春期特有のみずみずしい感性が今は枯れてしまった。ということか?
そして気を取り直して、70年代のカラヤン ベルリンフィルのCD(もちろん運命)を再生してみた。
こちらのほうが演奏も音質も当時のイメージに近い。
それでも感動はとても以前に及ばない。
私は目指そうと思う。中学生のころの感動を再生できるシステムを。
高級(高価)である必要はない。とうすうす感じている。
何か方法があるはずだ。
「運命」は世界中の人が知っている最も有名な曲だと思うが、私が最初にこの曲をまともに聴いたのは小学校六年のころ生で聴いたのが最初と思う。
記憶が正しければ、東北大学交響楽団の演奏で会場は東北大学の音楽ホール。
当時、音楽教育の一環でこういう活動が行われていたわけで、正直このときの感動は非常に大きかった。
もちろん小学生向けであるので分かりやすい小品を中心としたプログラムでその最後に「運命」の第一楽章が演奏されたのである。
今にして思えば、音楽に対する憧れはこのときが起点となったと思う。
このレコードはエンジェル盤で東芝EMIが発売していた。なぜか赤色透明な盤質だったことを覚えている。
裏面にはドボルザークの新世界が収録されておりいわゆる長時間LPというものではないかと思う。
一枚のレコードに運命と新世界がステレオで収録されているこのレコードは、いわゆるお買い得盤といえるが、確か価格は2,000円以上していた。
そして立派な見開きのジャケットに詳しいライナーノートが記されていた。
それを事あるごとに熟読した。
ベートーベンをよりよく知りたくて伝記なども読んだりした。
今思えば西洋音楽がこの世に存在すること、中学生の自分がそれに触れること出来たことに心からの喜びと共にある種の優越感を覚えたのをはっきりと覚えている。
早熟な中学生だった。