ブダペストの復旦大学上海歴史、発見!

第55回 2021年06月

 2021年6月19日の日経新聞が、ブダペストで復旦大学の建設計画が秘密裏に進行していることが暴露され、地元で多くの反対運動が起きていると伝えた。計画では、開校は2024年、敷地面積は52万平方メートル(東京ドーム11個分)に相当する。土地はハンガリー政府が無償提供し、代わりに建設費€15億(日本円約2000億円)のうち€13億は中国が有利子で融資するという。国民の7割が計画に反対する理由は、建設工事をすべて中国人が行い、地元にメリットがないこと、また巨額の有利子の支払いが孫子の代まで続くというのがその理由である。

 復旦大学は、北京大、清華大に次ぎ、世界ランキング34位の名門大学である。私が15年ほど前に訪問した時には、門を入ると正面に7,8mにも及ぶ巨大な毛沢東の立像が待ち構えていて、衝撃を受けた。復旦大学は、元来馬相伯が心血を注ぎ、私財を投じて建設した私立大学であったが、1952年他の外国人運営の大学と同様に国有化された。私が復旦を訪ねたのは、創立者・馬相伯の遺産を自分の目で確かめたかったからだ。だが驚いたことに、復旦には馬相伯を知る者は殆どいなかった。

 馬相伯は、元来イエズス会所属の教育者で、上海徐家匯にある徐匯公学(創立1850年)の校長や気象塔内でラテン語の教育を行っていた。清朝高官・盛宣懐が1896年徐家匯に設立した南洋公学(現・上海交通大学)の経済学系主任に、進歩的な蔡元培が就任すると、蔡元培は優秀な学生24名を馬相伯の下に送った。理由は馬相伯が行っていた欧州の先進的な教育方法を学ばせたかったからだ。だが短期間とはいえ、馬相伯の下で自由闊達な新しい教育を経験した学生は、南洋公学に戻ると、古い伝統的な中国式教育の大幅な改革運動を起こした。その結果、退学処分となる。蔡元培は、彼らを救済するため、進歩的な教師を集め「愛国学社」を設立したが、教師・章炳麟が、紙上で光緒帝を誹謗し革命を推奨したことで、学校は閉鎖に追い込まれた。

 そこで馬相伯は、彼らの為に新しい大学の設立を決意する。父親の遺産と租界内に持っていた土地を売り払い、私財をイエズス会に寄付したうえで、大学設立を申請した。だがイエズス会は寄付を受理したものの、大学設立には賛同しなかった。1903年馬相伯は単独で「震旦大学・Aurora College 」を設立し、全国から100名以上の学生を集めて新しい教育を開始した。教科は英語と科学を基本としたが、宗教教育は行わなかった。学生達は自ら選ぶ幹事会が、学生自治規定に沿って大学運営に参画した。イエズス会は馬相伯にキリスト教教育とフランス語の採用を強制したが、馬は応じなかった。イエズス会は、「震旦大学」の管理を取り戻すことを決議した。馬相伯を病院に幽閉し、新しい学長として神父を任命し、革命派の学生を放逐した。馬相伯は、イエズス会との相克を望まなかったが、1905年彼を慕う全校生徒134名が2名を残して全員が退校する事態に発展すると、馬相伯は、再度新たな大学を設立せざるを得なかった。1905年秋、復旦大学(当初は復旦公学)は、160名の学生と共に、新たなスタートを切った。

 馬相伯の教育理念によれば、大学は自由な研究風土の下で、宗教的な教義を含め、何事にも捉われず、真理の探求と自由な研究、自由闊達な討論により知識を深める場所である。学生は国を救おうとするなら、先ず近代科学を学ぶべきだ。そのためには、英語を始め外国語を学び、欧米の科学書を理解し、翻訳できる力を身に着けなくてはならない。教師は学生の基礎的な学力を高め、自ら研究する技能を養成すれば、学生は自然に各自の研究に邁進すると信じていた。

馬相伯は、法国イエズス会の直接管理下にあった教団と最後まで戦い、自身の教育理念を曲げなかった。復旦大学の創立の歴史は、正に新時代を切り開く若者の為に、清朝の旧弊な教育と頑迷なイエズス会の宗教教育に対抗する戦いであった。1952年以降、復旦大学は共産党の派遣する総長の下で、国立大学として改組発展することになった。
馬相伯の教育理念はどの様に引き継がれたのか、私は知らない。キャンパス内には、共産党が指名した最初の総長の小型の像はあったが、馬相伯の像は何処にも見当たらなかった。

 米国の著名な投資家・ジョージ・ソロス氏は、1991年ブダペストに「中央ヨーロッパ大学・CEU」を設立し、民主化人材の育成を図った。だがハンガリーのオルバン大統領は、2017年関連法を改正して、CEUを国外退去に追い込んだ(現在ウーンに移転)。ソロス氏はブダペスト生まれのユダヤ人で、ナチによる大量虐殺を免れた人物と言われる。彼が自らの財団を通じた多額の寄付により、ブダペストに大学を設立したのは、何故なのか?

 私の手元の資料「Jewish Budapest」 には、現存するUjikak Synagogue,Dohany Street Synagogue を始め12のユダヤ教会、病院、学校、図書館、Community Center, ユダヤ人墓地など多くのユダヤ人関連施設が記載されている。ナチにより虐殺された人名が壁一面に刻まれた祈祷ホールもある。特に第二次大戦前のブダペストには、ユダヤ人が20万人も住んでいた。しかし狂信的な人種的偏見から、彼らの多くが理由もなく殺害されたのだ。ハンガリー全土のユダヤ人90万人のうち、60万人がホロコーストの犠牲となった。生前彼らが住んでいた街に、彼らの死を悼み、人々の意識改革を願って、ソロス氏が教育施設を設立したのは、彼だけでなく、大戦を経験した全ての人にとっても、十分な理由があったのだ。

 復旦大学は、一帯一路政策を推進する習近平首席と、独裁的な傾向を強め、民主化を嫌うオルバン大統領との思惑が一致したことで、一方的に計画が進められているようである。もし復旦が現実にブダペストに設立されるなら、大学はどのような使命を担い、どの様な教育理念を持つのであろうか?私は不安な気持ちで、その動向を注視している。

島根 慶一

島根 慶一

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