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上海郵政総局

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第5回 2007年5月

郵政総局正面

蘇州河河畔、四川路に立つ上海郵政総局は、上海の20世紀の歴史を河と共に眺めてきた。街に残る “上海万国建築EXPO”と言われる多くの古い建築の中でも、その堂々とした存在感のある建物は、特別な地位を占めているように見える。2006年には、中に郵政博物館も併設されたので、今回はここを訪れてみたい。

上海の郵便事業は、1850年8月10日、ジャデイン・マセスンの郵便船が始めて上海に到着したことから始まる。 その時代、郵便船は1ヶ月に1度運行され、ロンドンから上海まで78日、ニューヨークから95日、香港からでも15日を要した。郵便船を運行したジャデイン・マセスンは大いに利益を得たに違いない。

1861年、英国は租界内に“中英書信館”を設立し郵便事業に乗り出した。その後米国、フランスが追従し、ドイツ、日本、ロシアが各々独自の郵便局を設立した。切手は各国のものを使った。1865年租界の管理機構・工部局が“上海書信局”を設立し、中国最初の切手「蟠龍郵票」を発行したが、郵便事業は税関業務の一部として税関が代行した。そこで英国人Robert Hart は、Active Inspector として上海税関を半世紀に渡って管理代行したが、郵便事業も統括した。1896年のワシントン会議を経て、清朝政府は中国国内の諸外国の郵政事業を廃し、正式に大清郵政総局を設立して、税関機構から独立した。

上海郵政総局 天潼路角

1920年上海は都市の成長と経済発展の勃興期を迎えており、郵政事業は既に十分な成熟期を迎えていた。(1920年の郵便件数は8,260万件と言われる。)そこで1922年、英国スチュアートソン&スペンス事務所の設計により、上海郵政大楼の建設が始められ、1924年11月に完成した。総工費320万銀であった。天津駅の郵便局が建設されたのは1915年、北京天安門の郵便局の建設は1922年であるから、上海郵政大楼は中国で第三番目に出来た郵便局ということになる。前述の二つの郵便局はとうの昔になくなったので、上海郵政大楼は同時期に作られ、今も利用されている大規模な郵便局の象徴的な存在となっている。

上海郵政総局蘇州河側面

敷地面積6,400平米、建築総面積25,294平米、U字形の正面ファサードを持つ英国古典主義建築である。鉄筋コンクリート製、地上4階、地下1階、三方は街路に面し、残る一方向は河に向いている。更に屋上四角形の基壇の上に高さ17mの鐘楼が乗り、その上に8.2mの旗竿が立っている。建物両サイドの壁面は、雄大なコリント式石柱が並び、古代ローマ時代の巨大な柱を模している。しかし北側は、赤煉瓦の無装飾の壁となっている。こうして二つの異なった建築様式をうまく融合するヨーロッパの折衷主義建築の特色により、上海郵政大楼は上海の最優秀建築の十指に入る建物となっている。

上海郵政総局 屋上彫刻

鐘楼基壇の東西両サイドの彫刻は、当時上海で最も優れた青銅彫刻と言われている。片側の彫刻は、キューピット、マーキュリー、ビーナスで、真中のマーキュリー(水星)は天上の神の使いとして人類に神の意思を伝える。両側の愛の天使は、郵便が人類に愛を伝え、愛が成就することを象徴していると言われる。もう一方の3体の彫刻は、各々両手に郵便の輸送手段となっていた初期の汽車、汽船の錨、通信用ケーブルを握っている。それらは設計者の美意識を表すと同時に、国民の親書伝達吏として、送信者に対する公平なサービスと、人々が通信により連帯感を持つことを象徴している。合理性だけが優先される現代から見ると、今より85年も前に、こうした格調高い建築物を造る時代の精神に感動を覚えざるを得ない。最近できた博物館のエレベータで屋上に登れるので、是非真近かで見て欲しい。

郵政総局2階カウンター

ビル内部の優れたデザインは、二階の営業ホールに見られる。螺旋階段を二階へあがると、そこは1,200平米の大広間で、十字形の通路に沿って真っ白な大理石のカウンターが走り、その上に落ち着いたチョコレート色の銅製の柵が設けられている。それらは最近の改築により、当時の写真の光景そのものに再現された。床はモザイク模様で、天上からは宮廷にあるような円形のライトが下がっている。各国に残る古い郵便局は、どこも魅力的なデザインで訪れる者を魅了するが、上海郵政大楼の二階ホールも、白と焦げ茶のコントラストが鮮やかで、今でも新鮮な印象を与える。

郵政総局 地下水倉図

地下室には5,371平米の敷地に416個の用水倉が設けられていた。各用水倉は鉄製の壁で仕切られて、相互に通ずる孔が付けられていた。現在は160個しか残されていないが、これら用水庫の水位は蘇州河の水位によって変化し、建物の不均等な地盤沈下を防ぐために設けられた。最近出来た郵政博物館の出口付近で、用水倉の一つが見られる。しかし単にコンクリートの床に開いた小さな穴だけを見ても、地下にある用水倉全体を推測するのは難しい。地下に入って見学したいと望むのは、私1人ではないであろう。

郵政総局 中庭展示場

建物は数度の改築を経てきたが、“元状保存”の方針により、今日でも初期の雄大な建築を見ることが出来る。しかしかつては両翼の建物に挟まれた中庭で、郵便物の積み下ろし作業が大規模に行われていた広い空間は、最近の改築により天井に屋根を張り、屋内の博物館の一部に形を変えているのが残念である。博物館の出口付近に飾られている昔の写真から、当時の面影を推測してみよう。

上海郵政大楼は、多くの困難を乗り越えてきた。特に1949年の上海解放の際には、国民党軍と人民解放軍が蘇州河を挟んで四川北路で銃撃戦を行なった。その模様は、博物館内のビデオで見ることができる。その甚大な影響から生き残った上海郵政大楼は、上海解放の歴史の証人ともなっている。上海郵政大楼は、今日も威風堂々とその姿を蘇州河畔に見せている。蘇州河が過去すう百年流れ続けてきたように、今後も幾世代にも渡ってその壮大な姿を河畔に示し、実際に使われる郵便局として、いつまでも存在し続けて欲しいと願っている。

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