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上海花園飯店と旧フレンチ・クラブ①

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第6回 2007年6月

花園飯店全景

2007年5月1日、SBFの実行委員・叶家胤氏と厳蕾嬢が、由緒ある花園飯店の優雅な野外庭園で結婚式を挙げられました。光輝く5月の新緑の中を、海外からも含め大勢の方々が祝福に集まりました。そこで今回は、その花園飯店の歴史をお話ししたいと思います。

花園飯店の原型は、1903年に設立されたドイツクラブ(Dautscher Garden Klub)にありました。しかしドイツが第一次世界大戦に負けたことで、同施設はフランスにとられ、以来フランス・クラブ(Cercle Sportif Francais) となりました。

花園飯店正面玄関

1926年には、若手フランス人建築家:レオナールとヴェセールにより、新クラブハウスとして現在残る建物(正面ファサードと東側旧エントランス部分、2階グランンド・ボールルーム、その他会議室)が建設されました。ネオ・バロック風の外観と植物などをモチーフとしたアールデコの豪華な内装、さらには2,800平米の前庭を持つ優雅な姿が、今も訪れる者を魅了しています。

庭には20面のテニスコート、屋内にはオリンピック競技サイズの室内プール、その脇にカフェバーが作られ、更にビリヤード室、カードゲーム室、喫煙室、床にダンス用のスプリングボードが施されたボールルーム、それに幾つもの素敵なレストランもありました。中でも人気の高かったのは、馬蹄形のバーで、上海中の美女が集まったと言われています。

花園飯店正面玄関

外灘には、フレンチ・クラブより格調高く、厳格な会員制を敷く上海倶楽部がありました。しかしここはタイパンによるタイパンだけのクラブで、一般人を締め出していました。特に婦人は会員になれなかった。しかしフレンチ・クラブは、そこはフランス人の性格から、婦人会員も容認したのです。しかし一時に40名のみと限定したため、常に会員待ちの長いリストが出来ていました。後年フレンチ・クラブは、中国人会員を認める最初のクラブとなりました。

花園飯店2階への階段

日曜の午後に開かれる”Tea Dance”は、冬の社交の人気行事でした。夏には、各種のグループがテニスの試合に興じました。シーズンの終わりには夜会を設け、ビュッフェ・デイナーと共に表彰式が行なわれました。テニスコートは、キャンバス布で覆われ、色とりどりの電灯が燈され、人々はカジュアルなダンスを楽しんだのです。

新中国成立後は、中国の高級幹部用の社交場:錦江クラブとなったことから、毛沢東主席や江青女史なども度々訪れ、現在の大宴会場(百花庁)でダンスを楽しんだと言われています。その為庭園内には、8室からなる避難用の防空壕(核シェルター)や、茂名路を跨いで錦江飯店に通ずる地下通路も設けられました。

新たらしいフランス・クラブの建物が完成すると、3年後には道路を挟んで錦江飯店(Cathtay Mansion)が、更に四つ角に蘭心大戯院(Lyceum Theater)や国泰大戯院(国泰電影院―Cathay Theater)が設けられ、この地域は上海でも最も地価の高い高級娯楽エリアとなりました。

花園飯店ステンドグラス

1990年、日本の野村證券がこの施設を購入し、クラブハウスに接続して後方に新しい33階建てのホテルが建設されることになりました。一階奥にあった室内プールやビリヤード場を取り払い、建物の後ろ半分に近代的タワーを建設したのです。ホテルオークラから派遣された初代総支配人・綾部さんによると、当時の中国の状況から、家具・調度品の全ては輸入せざるを得なかった。唯一の例外は浴室の純白の山東省産天然大理石で、綾部総支配人自らプレートを一つづつ吟味して選んだとお聞きしました。当初2階のフォイヤーの欄間には、ベニヤ板が不恰好に打ち付けられていました。それを取り除くと、現在みる優美なギリシャ彫刻の女神が現れました。文革当時、もしこのベニヤ板がなかったら、裸体の女性像はすべて破壊されていたでしょう。宴会場の天井には、タバコの脂で真っ黒に煤けたステンドグラスらしいものが見えました。高い費用を掛け洗浄してみると、現在見上げる素晴らしいオーバル(玉子型)のステンドグラスが現れ、一同びっくりしたと伝えられています。

1階右手奥のカフェテリア・ローズは、元来ボーリング場でした。そのため改装前は現在より更に長細く、日本では全く知られていなかったボーリングを、当時のクラブ・メンバーは楽しんでいたのです。2人の少年が、懸命に走り回って、6レーンのピンを手で並べ直していたのです。室内の水道水が飲めるのも、現在でもここだけでしょう。

ここで華燭の典を挙げた叶・厳ご夫妻の、ご多幸と大いなる発展を、皆様とともに心から祈念したいと思います。

次回は、旧フレンチ・クラブについて、お話をさせていただきたいと思います。

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