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嘉道里公館(Kadoories公邸)

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第8回 2007年8月

中央ホール

地下鉄2号線の静安寺から徒歩5分、街の雑踏を過ぎた所に静かに建つ2階建ての建物は、延安西路に面して広々とした庭園を持ちながら、南京路に背を向けているため、大多数の人の目には映らない。最近隣の敷地に新たに高層ビルが建ったことで、その存在感は更に薄れたように見える。ここは上海市少年宮で、恐らく土曜、日曜に子供たちを課外活動に通わせる父兄を除けば、その存在に注目する者は少ない。

窓と廊下

しかしマーブル・ハウスと呼ばれるこの建物に一歩入ると、誰でもその壮大さと豪華さに驚かされる。敷地面積15,000平米、建築面積4,692平米の2階建ての公邸は、室数20室。むしろ宮殿と呼ぶに相応しい。公邸は、壁、石柱、暖炉、階段、演壇などあらゆる所に真っ白なイタリア製大理石が使われている。内部は独特な配色で、薄緑とクリーム色で統一されていて、その装飾は、18世紀欧州の宮殿様式である。見るものを圧倒するメインホールは、高さ25m、幅50m、長さ25m、極めて精巧で美しい白天井と巨大な鏡、クリスタルのシャンデリアを備える。1階の部屋は元来ポーカー用に使われたもので、一風変わった天井は、金色の模様入りで曲線を描いている。庭に面した1階にはイオニヤ式回廊が廻っている。建築費用は白銀100万両、当時の金で米ドル500万に相当した。

この豪華なマーブル・ハウスは、80年以上前ユダヤ人Sir Elly Kadoorie 卿の私邸であった。カドゥーリは1867年バクダッドに生まれ、ボンベイを経由して1880年、同じくセファーデイック系ユダヤ商会、David Sassoon & Son の従業員として働くため上海にやって来た。その後 Elly Kadoorie はサッスーン商会を辞め、500米ドルの資金を元手に独立、不動産、ホテル、商業銀行、ゴム栽培などで大成功を納める。やがて和平飯店やグローブナーハス(現、錦江飯店)を建てたサッスーン一族、不動産王のハドゥーン一族と並び、上海の3大ユダヤ人財閥に成長した。

1920年カドゥーリーは新たに住宅を建てるため土地を購入し、友人の建築家 Graham Brown に設計を委託した。Brown は酒を飲んだ際の「ひらめき」が素晴らしいと評判であった。新しい住宅が出来るまでの4年間、カドゥリーは子供達をつれてロンドンに帰っていた。その間不幸にもロンドンの自宅が火事になり、炎の中から女中を救い出そうとしたカドゥーリーの妻は、自らの命を落としてしまった。悲嘆にくれたカドゥーリは、上海で建築中の邸宅をブラウンに任せたまま、完成まで一度も見に来なかった。

正面

カドゥーリー不在の間、Brown は思い切った発想を進め、宮殿のような建物の青写真を描き上げた。カドゥーリはブラウンの卓越した設計と彼の熱意に動かされて任せ切りにしていたが、完成した新家屋をみて、その豪華さにあきれ、少しばかり恐怖感を抱いたとさえ言われている。見事に完成した大邸宅を後に、ブラウンはアル中で入院した。  

宋慶齢胸像

カドゥーリはこの屋敷でユダヤ人共同体のために様々な催しものを行った。共同体の集会やユダヤの祝祭日には、大規模なパーテイ、宴会、舞踏会などが行われた。二階は主に家族と客用の寝室に当てられた。また貴金属を入れる秘密の金庫、秘密の通路や部屋も設計された。それらは、戦時中日本軍の手から逃れるのにも役立った。

太平洋戦争が始まると、上海を接収した日本軍は1943年カドゥーリ一族を閘北区のユダヤ人収容所に収監した。カドゥーリは不幸にもそこで1944年2月8日に病死した。彼の遺体は、今も虹橋路の旧万国公墓(現在の宋慶齢陵墓)に葬られている。 長男Lawrence と次男 Horace は1944年抑留所から出されたが、マーブル・ハウスに入ることを許されず、付近の小屋に幽閉された。日本の敗戦以降、ここは英国人と米国人、オーストラリア人用の娯楽所となった。1945年 Lawrence は香港に移住した。

1953年この建物は宋慶齢の提案により中国福利会少年宮となり、5歳~16歳の子供達のための課外活動に使われている。ここは中国で最初にできた少年宮である。中国政府は赤坂離宮を上回るこの豪華な建物を、子供たちの教育の為に使っているのだ。いかに中国政府が子供たちの教育に力を入れているか理解できるだろう。

庭

しかし当初、何故宋慶齢が中国福利会のような異質の組織の長に就いたのかは、よく理解できなかった。しかしある時北京の宋慶齢故居を訪れて、その謎が解けた。宋慶齢はアメリカの軍事援助を利用して共産軍と戦う蒋介石・宋美齢に対抗して、中国民権保障同盟を組織し、全世界の知識人から資金援助を集め、医薬品その他の物資を共産軍解放区に届けていた。抗日戦争が勝利に終ると、中国民権保障同盟は当然その使命を終えた。そこで中国民権保障同盟は、中国福利会と名前を変え平和の時代に合わせた福祉事業に専念することになったと、宋慶齢故居のパネルは記していた。それなら宋慶齢が理事長に就くのは、極めてよく分かる話ではないか。子供に頬ずりする彼女の肖像が1階の廊下に飾られている。

現在カドゥーリの孫、Michael Kadoorie は香港で活躍している。有名な香港のペニンシュラ・ホテルも、香港の電力の75%を供給する China Light & Powerも、実質的にカデゥリー一族がオーナーである。彼らは今でも世界の100位に入る富豪である。そして今、外灘の一角にペニンシュラ・ホテルが建設されようとしている。カドゥーリー一族は、彼らの祖先の眠る上海の地に、今一度舞戻ろうとしているのだ。

場違いなほど豪華な大理石の宮殿で、明るい日差しを浴びて音楽やダンス、パソコン教室で学ぶ屈託のない子供たちは無論のこと、同伴してくる若い親達も、上海租界の辿ったつい先頃の歴史や、日本軍が果たした不幸な過去の記憶も、過ぎ去った遠い出来事として彼らの意識には登っていないように見える。しかし我々は、香港を訪れる多くの旅行者が憧れるペニンシュラ・ホテルとカドゥーリ一族、その故郷の上海との結びつきを、忘れてはならないと思っている。

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