上海工芸美術博物館

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第9回 2007年9月

上海工芸美術博物館全景

現在上海工芸美術館となっている份陽路79号の庭園付き別荘は、18世紀ヨーロッパの城のように見える。そこは、白亜の壁の色の故にlittle white house と呼ばれた。フランス租界の中でも最も華やかな建物の一つである。米国レーガン大統領、フランス大統領夫人なども訪れたことがある。

この貴族的な庭園住宅は18世紀ヨーロッパ城塞建築様式で、フランスのルネッサンス様式の住宅の典型的な特徴を示している。建築面積1,496平米、地上2.5階、下部には半地下室を備え、1階、2階の中央部は円形に張り出している。半地下に当たる地上階には中央には水盤があり、排水口となるライオンの頭から水が滴り落ちている。しかしそこにはかつて、長く流れるような豊かな髪をもった可愛らしい石膏のニンフの像があったのだ。1966~1976年の文革の間に、残念ながらニンフ像は破壊されてしまった。

1階テラスから庭の眺望

水盤を囲むように左右の半円形の階段が流れるように1階のテラスに伸びている。そこからは、南に広々と広がる芝生の庭と池、それを囲むように立つ木立が眺められる。正面入り口の円形の張り出しを囲んで、2本対のイオニア式石柱4本が立っている。窓枠には鎖状の浮き彫り彫刻が見られ、1階のテラスには花瓶の形の欄干、手すりがある。建物中央の1階、2階の張り出しテラスは、まるでそれ自体が大きな花瓶のように見える。それを中心に、純白の建物が左右対称に伸びている。庭の緑に対応して、建物の白さが一層際立って見える。確かにここは、上海でも最も優雅な建物の一つなのだ。

1905年に建設されたこの邸宅は、当時のフランス租界の産業庁長官のために作られた。以後16人の長官が代々この素晴らしい家に暮らした。住宅として用いられなくなった後には、国連世界保険機構のアジア太平洋事務局が入居した。

上海工芸美術博物館

1949年陳毅将軍が蒋介石の国民党軍を破って上海に入城をすると、ここは上海市長となった彼の公邸となった。陳毅はフランスに4年間留学し、1923年に共産党に入党したのもパリであった。そこでこの邸宅に入居して、彼がどれ程喜んだかは想像に難くない。若い留学生としてフランスで苦労した彼にとって、この最もフランス的な豪邸で暮らせることは、これ以上の褒賞はなかったであろう。彼は1954年北京に転居したが、毛沢東が推進する文革の粛清に反対したことで酷い迫害に遭い、1972年北京で癌のため寂しく亡くなった。陳毅にとってこの館で過ごした10年は、彼の生涯の中で、最も幸せな時であったろう。陳毅市長が北京へ転居すると、中国・旧ソ連友好協会の事務所とり、その後1963年に、上海工芸美術研究所が入居した。

この研究所は、文革の間外国人に開放された上海で唯4箇所の建物の一つであった。理由は、当時工芸品は外貨を稼ぐ主要な役割を果たしていたからだ。その他の許可された訪問箇所は、豫園、玉仏寺と少年宮であった。玉仏寺がいまだに団体旅行の訪問箇所となっているのは、当時の影響かもしれない。

工芸美術研究所が入居して6年目に、突然移転せざるを得なくなった。それは林彪の息子、林立果がこの家を独占することを望んだためだ。林彪は毛沢東と共に文化大革命を推進したが、毛沢東との権力闘争からクーデターを企み、結果的に発覚して妻の葉群、息子の立果などと共に海外逃亡を試みた。1971年に彼らの乗ったトライデント機は燃料不足から、モンゴール上空で墜落した。そこで1972年林彪の死後、幸いにも研究所は再び元の所属へと戻された。

毛沢東殺害計画は、むしろ息子の立果が主導したと言われる。文革を挟んで対立した陳毅と林一家が、それ以前にこの邸宅をめぐっても争うことになっていたのは、歴史の因縁かもしれない。研究所は2001年に、上海の優れた工芸家の作品と伝統工芸品を展示する目的で所内に博物館を開設した。

1階展示場ステンドグラス

一階ホールに入ると、天井、床、壁面は大理石で覆われ、天井には微細な石膏彫刻が施されている。室内の天井や壁には太い木製の梁が走り、腰板、階段の手すり、壁際の暖炉などと共に、ダークグレーのザボンの木が使われていている。大理石、木製装飾、彫刻などが、欧州の新芸術派建築、アールデコの特徴を示している。展示されている上海周辺の数々の工芸品と共に、建物が醸し出す静かで落ち着いた雰囲気が、何とも言えず素晴らしい。

螺旋階段

1階から2階へは、優雅なカーブを描く曲線階段が延び、窓には洒落たアールデコのステンドグラスが美しく輝いている。2階には、1世紀を経た古い浴室がある。当時の銅製パイプでできたシャワー、骨董品のようなバスタブと夜間用の室内便器が残っていて、当時の生活を偲ばせる。

1階、2階の個室では、上海伝統の毛糸・絹糸刺繍、編み物、拓彫刻、玉石彫刻、切り髪、しん粉細工(小麦粉で作る着色人形)、象牙細工など、伝統的な民間工芸美術の研究者の製作現場が見られる。

幸か不幸か、現在この優雅な白亜の建物を訪れる者は少ない。静かな雰囲気の中で、ゆっくりと庭と建物を巡ると、かつてここに暮したフランス人の美的で優雅な生活が実感できる。上海で珠玉の一時を過ごしたい方は、是非お勧めしたい場所の一つである。

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