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瑞金賓館・モリス邸(中国名:馬立斯花園)

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第13回 2008年1月

SBF会員の皆様、新年おめでとうございます。
昨年一年間私の「上海の歴史発見!」をお読み頂き、ありがとうございました。「もう一年続て」との皆様の励ましの言葉を頂きましたので、本年も昨年同様、拙文をお届けすることになりました。皆様には宜しくお付き合いのほど、お願い致します。

入口

瑞金ニ路118号の瑞金賓館は、旧モーリス一族の大邸宅で、4件の邸宅と多くの離れ屋、広大な庭園からなっている。いまは、屋敷の周囲に富裕な外国人用の不恰好な建物などが建て込み、大幅に縮小されているが、人口稠密なフランス租界の真中で、今も広大な正4角形の土地を占めている。

大邸宅の旧持ち主・Henry (“Harry”) E. Morriss JR.は、H. E. Morriss Sr. の息子として生まれた。父はユダヤ系英国人カトリック教徒で、1920年代~1940年代の中国で、いやアジアで最も影響力を持つ英字紙、North-China Daily News の創設者であった。

正面

父Morriss は1919年に亡くなり、息子Harry は外灘17号の2階にあった彼の事務所から、最高司令官として父の新聞社を牛耳った。彼は社会的地位に相応しく、 旧フランス租界のPere Robert 路、今の瑞金2路に面した正方形の土地を一ブロック住宅用に手に入れた。

1号館

1号館階段 ロビー

モリスが住んだ住宅は1917年に竣工した1号館で、ピッチを塗った傾斜のある屋根を持つフランス田園風(ハーフティンバー様式)の豪華マンションである。柱や梁をそのまま外部に露出させ、その間を石材や漆喰で埋めた英国の伝統様式であった。当時その建築様式は、20世紀年初頭の30年間に世界中で流行したもので、正に最新流行の、最先端様式だった。その住宅は、最高の建築家による最良の材料で建てられた。広い玄関を一歩入ると、磨かれた大理石の6本の柱が待ち構えている。一種の霊感を持った広々としたロビーは、現在バーとなっている木製の壁を廻らしたモリスの居心地のいい書斎へと通じている。そこでは、この邸宅の主が、壁際のアルコーブに設えた暖炉に温まりながら読書をしている姿を容易に想像することができる。また、隣りの食堂では、使用人がいつも地下倉庫に入れてある銀食器を磨いていたであろう。

1号館2階ついたて

堅固な木製の手すりを備えた豪華な階段を上がると、2階には精巧に作られた鉄のつい立があり、東洋と西欧の意匠が上手に組み合わされている。それは生気溢れる赤い花が咲くイタリア風の植木鉢、羽根を広げた孔雀、寺院の見張りの石像によく見られる伝統的な2匹の中国犬の図案である。2階はかっての一家の寝室と居間であり、現在は迎賓館の客室となっているため、一般公開はしていない。

1号館ロビー

長い間、そこは蒋介石総督夫妻など多くの著名人を迎え入れてきた。特に宋美齢はここに、汾陽路の住宅とは別に個人的な事務所を構え、別宅として利用した。蒋介石は、まさかここが、後年“瑞金賓館”と名づけられるとは、夢にも思わなかったであろう。なぜなら瑞金とは、毛沢東、朱徳らが江西省南東部に作った最初の共産党解放区の町の名前で、1931年11月中華ソビエト共和国臨時中央政府が置かれたところだった。蒋介石はこの町を目指して、自ら30万の国民党軍を率いて第3次剿共作戦を実施し、遂に共産党は長征に出ざるを得なかった因縁の町であった。

1号館

上海解放後共産党政権が成立すると、屋敷は逆に党に接収され、そこはVIP用の迎賓館となった。大勢の随行員と共に毛沢東夫人・江青も時折宿泊したので、敷地内に防空壕が掘られた。蒋介石が激戦の末に掃討した町は、瑞金賓館の名前で復活したのだ。

2号館と車庫・厩

2号館正面

母屋に続いて車庫・厩があり、半分が木組みの正面扉と荘重な門を備えていた。モリスは、彼自身が所有する馬に乗ってそこを通り抜けたであろう。今は人が下を通りぬけ、ホテルにくる乗用車が走り抜けている。1号館と向き合う形で建つ2号館には、いまは瑞金賓館のホテルロビーと、上階に客室が設けられている。

3号館

3号館

モリスには Hailey とGordon の2人の兄弟がいた。Hailey は変り者で、一連の性的事件で起訴され、刑務所に入れられた。彼は世界的な新聞種になり、大いに家系を汚した。

Gordon は上海で新聞社のすぐ隣りの外灘16号で、証券会社;Lester, Johnson & Morris を経営し、新聞社にも関係していた。彼は恐らく、アールデコの美しい3号館に暮らしたのだろう。

3号館は1949年に完成した。単純で明確な線も持ち、時代の先端を行ったものだった。流線型の円柱、古典的アールデコ様式の舷窓のような窓、幾何学的な凝った鉄製の階段手すりなどを備えていた。しかしこの邸宅の最も素晴らしいものは、3枚続きのステンドグラスの窓で、青々と樹木が茂るジャングルの様子を描き出していて、59年後の現在も色鮮やかである。

ステンドグラス

中でも目を引くのは真ん中の窓で、さざ波立つジャングルの水場で水を飲む一匹の金色の虎を描かれている。それは貴重な遺産で、聖イグナチオ教会のジェスイット派の修道僧が運営していた有名な徐家匯工房の、現存する数少ない作品の一つである。その工房は、修道僧が上海の孤児達の技能教育のために運営していたもので、当時徐家匯には捨て子の収容所や大規模な孤児院、不幸な子供達の教育のための学校や工房があった。女の子には家庭的な技能や針仕事、男の子には木工やステンドグラスを教えた。彼らの作品の多くは、上海の他の教会や個人住宅に買い取られて行った。

4号館

4号館

今日Face Restaurant が入っている豪華な4号館は、前に手入れの行き届いた芝生を備えた優美な建物である。瑞金賓館(迎賓館)の一部としてモリス邸を最も良く連想させる建物だが、皮肉なことにモリス一家は、そこには一度も住んだことがなかった。1924年、三井洋行はモリス邸の敷地の一部、2.8ヘクタアールを買い取り、平野勇造(カリフォルニア大学建築家卒業)に設計を依頼した。そこで戦前は、三井洋行上海支店長邸宅・Mitsui Villa(三井花園)として用いられ、日本軍占領下では、憲兵隊司令部の一部門が入居した。

現在はアールデコの正面玄関と共に、1階はFace バー、2階はタイ料理店, Lan Na Thai として使われている。庭の籐椅子に靠れて、前に広がる青い芝生の庭を眺めながら頂く午後のコーヒは、ここでしか味わえない優雅なひと時である。

第二次世界大戦の間イタリア領事館が利用したのは、どの棟だったのだろうか。当時の領事はGaleazzo Ciano 伯爵で、Benito Mussolini の娘・ Edda Mussolini と結婚した。彼は、上海暮らしをたいそう嫌ったと言われている。連合国側の英国、フランス租界が主流の上海では、ムッソリーニの娘夫婦は、余り居心地が良くなかったに違いない。

Henry (“Harry”) E. Morriss JR.

モリスは犬が大変好きで、特に偶然にも彼の邸宅の直ぐ裏にあったカニドローム・ドッグレース場で走らせたグレイハウンド犬が、大のお気に入りであった。当時モリスが彼の敷地から直接ドッグレース場に入れるよう、茂名南路側の壁に裏門まで作らせた。グレイハウンド犬のドッグレースは、旧上海の流行の娯楽の一つであった。つややかな毛並みの俊敏なグレイハウンド犬が、ドッグレース場の周りを機械仕掛けのウサギを追って走ると、子供達が階段を駆けて登り降りして賭け票を集めた。目をぎらつかせた外国人や中国人が、賭けに血眼になった。その後ドッグレース場は、陝西路に入り口を持つ錦文生花市場となったが、それも2005年に移転した。

上海の名家に生まれたMorrisは、常に人生の最高も物を求める嗜好と、それを手に入れる財力を持っていた。Morris が所持していた宝は、邸宅だけではなかった。競走馬、グレイハウンド犬、貴重なストラディバリウス・ヴァイオリン・Hellierなどがあった。Hellier はアントニオ・ストラディバリウスが作った最も有名な象嵌のバイオリンで、18世紀ストラディバリウスから直接それを購入した Samuel Hellier 卿に因んで名づけられた。モリスは彼の豪華な部屋の一室で、珠玉の” Hellier “ バイオリンを弾いて楽しんだのだ。そのヴァイオリンは、いまワシントンDCのスミソニアン博物館に展示されている。

HarryからGordonへ

Gordonの住宅

モリス一族は、新聞社を経営する者としては、俄かに信じられないことであるが、共産中国が如何に彼らの生活を劇的に変えるかを予想していなかった。結局、戦争、占領そして政府の交代を経ても、モリス一族は上海で暮らし、繁栄を続けた。彼らはこの街で巨額の資産を築き、代わりにこの街に権威ある新聞と外灘の壮大な建築と田園風な邸宅を残した。彼らにとっては、上海での財政基盤が余りにも大きかったため、政府の交代が彼らの生活を大きく変えるとは信じられなかったのだ。

しかしやがて変化は間違いなくやって来た。H.E. Morriss は解放前に亡くなった。彼の息子、Gordon は上海に留まった。しかし新政府は彼の邸宅を迎賓館に変え、更に彼をかつて彼が主であった邸宅の門番小屋へと押し込めた。彼はそこに1952年まで暮らして亡くなった。彼の暮らした門番小屋は、瑞金ニ路から入ると右側に今も残っている。

4号館前庭

青々と樹木の生い茂る庭園とその下を抜ける小道、園内の西欧式東屋は、結婚式を終えたカップルの格好の撮影場所である。いま瑞金賓館を訪ねる者は、しばしば白いベールを被った花嫁とタキシードに身を包んだ花婿が、庭のあちらこちらで記念写真を撮っている微笑ましい姿を目にする。邸内の一角には、三井建設の造ったオフィス・兼住宅の瑞金大厦が建ち、ホテル棟も増築された。止むを得ないこととは思いつつ、邸内に今も増え続ける旧館とは不似合いの建物群に心痛むのは、私ばかりではないであろう。

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